虎に翼の登戸火工の元ネタモデル昭和火工はスパイ道具を製造?

朝ドラ「虎に翼」登戸火工の元ネタ・モデルの「昭和火工」とは?スパイ道具製造と関連する「登戸研究所」について
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2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」の主人公猪爪寅子の父・直言が社長を務める登戸火工。

登戸火工の元ネタ・モデルは昭和火工で、第九陸軍技術研究所、

通称:登戸研究所第二科と関わりがあったとされています。

朝ドラ「虎に翼」にて「登戸火工」は、発煙筒や信号弾を作っている会社として登場します。

「登戸火工」のモデル・元ネタの「昭和火工」はスパイグッズ等を開発した、

陸軍登戸研究所の下請け企業と言われています。

軍事需要で繁栄する一方、敗戦を期に証拠隠滅されたため情報が少ないと筆者は考えます。

スパイという秘密裏なゆえ、正確性に欠けている点があるかもしれませんが、

朝ドラ「虎に翼」の時代背景は合っていると思いますので紹介いたします。

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目次

朝ドラ「虎に翼」登戸火工の元ネタ・モデルの昭和火工はスパイ道具を製造?

朝ドラ「虎に翼」の主人公猪爪寅子の父・直言が社長を務める登戸火工

「登戸火工」は、発煙筒や信号弾を作っている会社として登場します。

この「登戸火工」にはモデルとなった会社があるようです。

「登戸火工」の元ネタ・モデルの「昭和火工」はスパイ道具を製造していた?

上のXのポストを元にですが、「登戸火工」の元ネタ・モデルは「昭和火工」のようです。

「昭和火工」は多摩区升形1丁目にありました。主にスパイ道具を製造したと推測できます。

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「登戸研究所」について

「昭和火工」は登戸研究所第二科と関わりがありました。

「登戸研究所」の正式名称は、第九陸軍技術研究所です。

日本陸軍が設立した秘密の研究施設でした。

この研究所は、神奈川県川崎市多摩区東三田に位置していました。

登戸研究所は、1939年(昭和14年)に特殊電波や特殊科学材料などの秘密戦の研究部門として設立されました。

その存在は国内でも秘密にされており、その主な目的は秘密戦のための開発でした。

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「昭和火工」と関わりがあった登戸研究所第二科とは?

登戸研究所第二科は、日本陸軍の秘密戦のための道具・資材を研究・開発していた部門の一つでした。

この部門は、化学に基礎をおいた研究から始めて、

  • 穀物を枯らせる道具(昆虫・線虫・カビなど)
  • 家畜をあの世行きにする道具(細菌・ウイルス)
  • スパイ用道具(小型カメラ・特殊インク・変装用具など)

などを開発していました。

敗戦後の登戸研究所は?

1945年8月15日、敗戦が決まると、陸軍省軍務課は『特殊研究処理要綱』を通達し、全ての研究資料の破棄を命令します。

そのため、正確な情報情報が残らず、かつ、関係者は黙秘続けたため、情報があまり残っていないのが事実です。

その後、登戸研究所の跡地は慶應義塾大学や北里研究所、川崎国民学校などが使用しました。

現在は明治大学の生田キャンパスとなっています。

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登戸研究所があったところの現在は?平和教育登戸研究所資料館としての教育機関へ


登戸研究所時代の一部の建物や遺構が現存しており、平和教育のためのミュージアムとして利用されています。

ここでは、陸軍の秘密機関である登戸研究所の歴史を学ぶことができます。

登戸研究所で開発されたものは、人道上・国際法規上問題のあるものも含まれますが、

歴史的事実として語り継ぐことに展示の重点をおいています。

また、キャンパス内に残る半地下式倉庫や動物慰霊碑、陸軍消火栓などの戦跡を見学することも可能です。

明治大学生田キャンパスの奥にあるこの博物館では、戦時下の陸軍が行った研究や、そこに携わった人々の歴史を学ぶことができます。

この資料館は、戦争の裏側を見てみることを提案しており、その秘められた歴史を通じて平和教育の一環として活用されています。

平和教育登戸研究所資料館は、過去の歴史を学び、未来への教訓を引き出すための重要な場所となっています。

平和教育登戸研究所資料館

住所:〒214-8571 神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1 明治大学生田キャンパス内

開館時間:水曜~土曜 10:00~16:00

休館日:月曜日、火曜日、日曜日※そのほかにも明治大学都合での休館あり。

入場料:無料

アクセス:小田急線生田駅より徒歩約15分

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朝ドラ「虎に翼」の登戸火工の撮影場所は?

廃アパートから撮影したと考えられる登戸火工のイラスト(イメージ図)
登戸火工の倉庫のイメージ

寅子の父:直言が社長を務める「登戸火工」、優三さんも勤務します。

筆者は登戸火工の撮影場所は以下の場所だと考えます。

朝ドラ「虎に翼」ストーリーの概要

裁判官になった猪爪寅子
猪爪寅子のイメージ図

昭和4年(1929年)、日本初の女性専門の法律学校が開設されました。

そこには、当時の社会に適応できないで、不安や抑圧を感じる女性たちが集いました。

「虎に翼」物語の主人公である猪爪寅子もその一人です。

彼女たちは、「魔女部」と揶揄される学び舎で法律を学び、

自らの職業への道を切り開く覚悟を決意しました。

その法律学校から昭和13年(1938年)、日本初の女性弁護士が誕生しました。

女性弁護士の一人にもちろん、寅子もおり、彼女たちは全国的に注目を集めました。

でも、彼女たちが弁護士として社会に進出した時節、日本は戦争への道を歩み始めていました。

彼女たちは法律の知識を得た翼で羽ばたこうとしましたが、

その翼はもぎ取られて、失速してしまいました。

昭和20年(1945年)、焼け野原の中で立ち尽くす寅子は全てを失いました。

でも、過去に学んだ法律だけが、生き抜くための糧でありました。

寅子は裁判官になることを決意し、

戦争で亡くした親や困難に立ち向かう女性や子どもたちのために、

家庭裁判所の設立に尽力しました。

そして、寅子はついに裁判官となりました。

寅子と仲間たちは、政治や経済では解決できない、

困難に立ち向かう人々の世界を理解し、

その苦境から救うために情熱を持って取り組みました。

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朝ドラ「虎に翼」登戸火工の元ネタ・モデルの昭和火工はスパイ道具を製造?まとめ

今回は、朝ドラ「虎に翼」登戸火工の元ネタ・モデルである昭和火工と、

関わりがあった登戸研究所第二科を紹介しました。

令和の時代になってもいくさが絶えません・・平和を願うばかりです。

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

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