虎に翼の裁判の元ネタやモデルは?判例の記録に迫ってみる

朝ドラ「虎に翼」の裁判のモデルや元ネタは?判例の記録に迫ってみる

2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」

朝ドラ「虎に翼」で扱われた裁判のモデルや元ネタについてまとめてみました。

ドラマに出てくる裁判は実際にあった裁判の判例をモチーフにしていると筆者は考えています。

この裁判のモデルや元ネタの記事を通じで、

さらにドラマを見る際のリアル感を体感していただけると嬉しいです。

目次

虎に翼の裁判のモデルや元ネタは?実際の記録に迫ってみる

朝ドラ「虎に翼」で登場した裁判についてのモデルや元ネタについてまとめを紹介します。

猪爪智子が初めて傍聴した裁判!物品引渡請求事件と権利の乱用

朝ドラ「虎に翼」の主人公猪爪寅子は、山田よねを尾行して東京地裁につき、その流れではじめて裁判を傍聴する。

原告は嫁入り道具の鏡台や茶だんすや、形見である着物の返還を求めているのに対して、

被告は離婚が成立していないうちは財産は夫が管理するものであって妻に返還する筋合いない

との主張し、被告は原告に対し物品を引き渡すべしとの判決が下だります。

理由としては、夫婦生活が破綻した状況で、権利の乱用し妻を苦しめる目的だからということでした。

この元ネタが、上のXのポストにある判例と考えられました。

裏では昭和戦前期の判事、検事、弁護士の法衣までみっちり準備されていた

日本大学商学部の刑部芳則教授が制服考証をされていました。

防虫剤入りの毒饅頭事件

明律祭の法廷”劇”ではあります。結局は山田よねと男子学生のケンカにより、劇は中止となってしまいます。

この劇の元ネタとなった事件があります。

>>>虎に翼の法廷劇の元ネタは?女医広瀬菊子のチフス饅頭事件

にて史実を詳しく書きましたので是非お読みください。

共亜事件

共亜事件で、寅子の父親、直言をはじめ、現職大臣が逮捕。

裁判の末、全員無罪となりました。

この共亜事件のモデルになった出来事があります。

>>>虎に翼の共亜事件とは?元ネタは帝人事件!裁判で無罪判決

にて、詳しく紹介しましたので是非お読みください。

朝ドラ「虎に翼」ストーリーの概要

昭和4年(1929年)、日本初の女性専門の法律学校が開設されました。

そこには、当時の社会に適応できないで、不安や抑圧を感じる女性たちが集いました。

「虎に翼」物語の主人公である猪爪寅子もその一人です。

彼女たちは、「魔女部」と揶揄される学び舎で法律を学び、

自らの職業への道を切り開く覚悟を決意しました。

その法律学校から昭和13年(1938年)、日本初の女性弁護士が誕生しました。

女性弁護士の一人にもちろん、寅子もおり、彼女たちは全国的に注目を集めました。

でも、彼女たちが弁護士として社会に進出した時節、日本は戦争への道を歩み始めていました。

彼女たちは法律の知識を得た翼で羽ばたこうとしましたが、

その翼はもぎ取られて、失速してしまいました。

昭和20年(1945年)、焼け野原の中で立ち尽くす寅子は全てを失いました。

でも、過去に学んだ法律だけが、生き抜くための糧でありました。

寅子は裁判官になることを決意し、

戦争で亡くした親や困難に立ち向かう女性や子どもたちのために、

家庭裁判所の設立に尽力しました。

そして、寅子はついに裁判官となりました。

寅子と仲間たちは、政治や経済では解決できない、

困難に立ち向かう人々の世界を理解し、

その苦境から救うために情熱を持って取り組みました。

虎に翼の裁判のモデルや元ネタは?実際の記録に迫ってみる!まとめ

2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」

朝ドラ「虎に翼」で扱われた裁判のモデルや元ネタについて紹介いたしました。

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次