朝ドラ「虎に翼」の明律祭で、おじゃんになった法廷劇「毒まんじゅう事件」の元ネタの史実は広瀬菊子のチフス饅頭事件です。
朝ドラ「虎に翼」で山田よねが男子学生に股間蹴りをかました明律祭の法廷劇「毒まんじゅう事件」のネタバレもします。
虎に翼の法廷劇「毒まんじゅう事件」の元ネタの史実である広瀬菊子のチフス饅頭事件について実際の事件やドラマの模様など詳しく紹介します。
朝ドラ「虎に翼」の法廷劇の元ネタの史実は広瀬菊子のチフス饅頭事件
1939年に発生した神戸市のチフス饅頭事件で有名な広瀬菊子の物語は、彼女の医学生活と恋愛、犯行動機、そしてその後の人生にわたります。
広瀬菊子の医学生活と恋愛
広瀬菊子は、1924年に東京女子医専(現在の東京女子医科大学)を卒業し、医師として活動しました。
その後、神戸市立市民病院で働きながら、医学生だった副院長と恋仲になりました。
彼女は副院長が医師になるまで待つことにし、実家で医師として働きながら彼に学資を送り続けました。
チフス饅頭事件の背景
しかし、副院長が医師になった後、広瀬は彼から冷たくされ、家族からも離縁を言い渡されました。
このことがきっかけで、彼女は「チフス饅頭事件」の犯行に及びます。
事件の詳細と犯行動機
広瀬はチフス菌を饅頭に仕込み、偽名で副院長宅に送りました。
これを副院長の妹が職場の小学校へもっていき教師たちに配りました。
この饅頭を食べてしまい、結果として、12人が感染し、1人が亡くなりました。
彼女の犯行動機は、恋愛に対する絶望と離縁がきっかけでした。
広瀬菊子の逮捕と裁判
事件後、広瀬は犯行を認め、逮捕されました。
連日、新聞で報道させるようになり、広瀬菊子にも同情する声が上がるほどでした。
裁判では有罪判決を受け、懲役8年の刑が言い渡されました。
刑の実行と模範囚としての生活
広瀬は模範囚として早期出所し、中国大陸に渡り終戦を迎えました。
引き揚げ後は故郷で市議会議員も一期務めました。
医師免許が復活した後は、晩年まで医師として活動しました。
朝ドラ「虎に翼」の明律祭の法廷劇「毒まんじゅう事件」のネタバレ
法廷劇では、防虫剤が入った「毒まんじゅう」を食べた家族の一人が亡くなってしまった出来事を法廷としてとりあげます。
寅子が明律大学女子部の2年生になると、同期の学生数が20人に減り、1クラスだけに。
明律大学女子部への入学数も少なくなり危機感を持つようになります。
女子部存続のため、宣伝になると、法廷劇をやろうとします。
医学生の乙蔵に恋に落ちた女給の甲子が恋に落ちるが、結婚はできないと捨てられ、甲子が乙蔵一家を防虫剤入りの「毒まんじゅう」で苦しめと食べさせ、結果、祖父が亡くなり、自身は懲役8年になる
このような内容の法廷劇をやります。
この法廷劇は、男子学生と女子部のもみ合いになり、山田よねが股関蹴りをして脚を痛めるなど、
結局、劇自体が中止になってしまいます。
でも、本当に防虫剤入りのまんじゅうで人が亡くなるのか「はて?」と思った寅子が山田よねと共に、その真相に迫ります。
自宅で、毒まんじゅうを再現させるため、寅子の母親である「はる」や女学校時代から付き合いのある義理の姉「花江」も巻き込んで、検証します。
また、この法廷劇自体も明律大学の学長が同情を買うため、元の事件を「悲劇な女性を女性が弁護する」ように事実を捻じ曲げて脚色したことが判明します。
この元の事件こそが、広瀬菊子のチフス饅頭事件となります。
結果、まんじゅうは防虫剤でなく、「チフス菌」が入れられたことが分かり、無駄な時間を過ごしたという山田よねに寅子の母:はるは、「法律を目指す同志を得た」ので無駄ではないと諭します。
虎に翼の法廷劇の元ネタの史実は広瀬菊子のチフス饅頭事件!まとめ
朝ドラ「虎に翼」の明律祭で、おじゃんになった法廷劇「毒まんじゅう事件」の元ネタの史実は広瀬菊子のチフス饅頭事件を紹介しました。
また、明律祭の法廷劇「毒まんじゅう事件」のネタバレも紹介しました。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。