2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」共亜事件とは?
朝ドラ「虎に翼」に登場した直言が勾留された共亜事件の元ネタは1934年の帝人事件です。
帝人事件とは、帝国人造絹糸株式会社(現,帝人)の株式売買が汚職として追及され,斎藤実内閣の倒壊を招いた事件です。
裁判では、桂場のモデル、石田和外が、「水中に月影を掬(きく)するが如し」という
名文句で起訴された全員が無罪という判例にもなりました。
共亜事件をはじめとするドラマに出てくる事件は実際にあった事件をモチーフにしていると筆者は考えています。
本記事では、
- 共亜事件のモデルになった帝人事件の解説
- 朝ドラ「虎に翼」共亜事件と裁判のネタバレ
を紹介します。
この事件の元ネタの記事を通じで、さらにドラマを見る際のリアル感を体感していただけると嬉しいです。
朝ドラ「虎に翼」の共亜事件の元ネタは帝人事件!戦前政界を揺るがした疑獄事件の真相と背景
帝人事件は、1934年に発覚した、日本の戦前政界を揺るがした疑獄事件です。
帝国人絹株式会社(現・帝人株式会社)の株式売買をめぐる不正疑惑が持ち上がり、当時の斎藤実内閣の総辞職にまで発展しました。
この事件は、単なる企業間の不正取引にとどまらず、政官財癒着の構造や、当時の社会情勢を浮き彫りにする事件として、歴史的にも重要な意味を持っています。
帝人事件とは?
帝人事件は、1934年に発覚した、帝国人絹株式会社(現・帝人株式会社)の株式売買をめぐる不正疑惑事件です。
具体的には、当時の政界有力者や官僚たちが、帝人株式会社の株式を事前に安く買い占め、その後価格が上昇したところで高値で売り抜いたというものです。
この事件は、当時の斎藤実内閣の与党であった立憲民政党の有力政治家たちが深く関与していたことが発覚し、大きな政治スキャンダルとなりました。
その結果、斎藤実内閣は総辞職を余儀なくされ、日本の政界に大きな衝撃を与えました。
帝人事件の背景
帝人事件は、帝国人造絹絲株式会社(帝人)の株式売買を巡る疑獄事件で、昭和9年(1934年)に起こりました。
帝人は鈴木商店の系列であったが、昭和2年(1927年)の恐慌で鈴木商店が倒産すると、帝人の株式22万株は台湾銀行の担保になりました。
帝人事件の真相
帝国人造絹絲株式会社の業績が良好で株価が上がったため、この株をめぐる暗躍が起こっていました。
元鈴木商店の金子直吉が株を買戻すため、鳩山一郎や「番町会」という財界人グループに働きかけ、11万株を買戻しました。
その後帝人が増資を決定したため、株価は大きく値上がりしました。
昭和9年(1934年)1月17日、『時事新報』が「番町会」を批判する記事「番町会問題をあばく」を掲載しました。
その中で帝人株をめぐる贈収賄疑惑を取り上げました。
議会で関連を追及された文部大臣の鳩山一郎は「明鏡止水の心境」と述べ、これが辞任の意思表示だと報道されました。
その後、帝人社長:高木復亨(前台銀理事)や台湾銀行頭取:島田茂、番町会の永野護、大蔵省の次官:黒田英雄・銀行局長ら全16人が背任罪・贈賄罪などで起訴されました。
これにより政府批判が高まり、同年7月3日に斎藤内閣は総辞職しました。
被疑者には200日以上の長期拘留、革手錠などの過酷な扱いがなされ、司法ファッショという非難があがりました。
ファッショというのはファシズムの傾向で、特定の権力と司法が結び付くという意味です。
そんな状況下もあり、裁判実施前に行われる予審においては、罪を自白しました。
帝人事件の裁判は?裁判官は石田和外!桂場のモデル
裁判は昭和10年(1935年)6月22日に開廷し、16人の被告はいずれも罪状を否認しました。
ちなみに、裁判官は石田和外、桂場のモデルです。
帝人事件の判決!水中に月影を掬(きく)するが如し
桂場のモデル、石田和外が左陪席裁判官として判決を起案し、265回の公判の末、
事件が事実無根であることを強調するため、
「水中に月影を掬(きく)するが如し」
という名文句を使いました。
これは、水面に映った月を掬うようなものだという例え話で、
事件は検察のでっち上げだと批判したのです。
昭和12年(1937年)10月には事件そのものが、空中楼閣とされ、
起訴された全員が第一審で無罪となり確定しました。
それにより、「司法界に石田あり」と一躍注目されました。
この言葉は、事実がないものを証明しようとする行為を風刺したもので、
石田和外の鋭い洞察力と公正な裁判を象徴しています。
この裁判により、石田和外はその後のキャリアで多大な影響を与え、第5代最高裁判所長官にまで昇進しました。
石田和外氏が当時のことを語る
財界、政界の腐敗、堕落が批判されていましたから、検察庁は張り切っていました。
法学セミナー278号(1978年)「石田和外氏に聞く[上](法曹あの頃 第三〇回)」より一部抜粋
検察官は気負い立っており、かなり無理をしていて、裁判所の令状もないのに身柄を警察にもってくるなどが行われた時代です。今から言えば不当検束です。
台湾銀行や帝人株取引の関係者をどんどん引っ張ってきて取り調べを進めた。
未決拘置所に拘置後も革手錠をはめたりして、じしょう行為の恐れがある言うんですが・・
裁判では検察官側と被告側の主張は対立していました。
そのころの被告人の立場は弱かった。
敗戦の新しい憲法下の被告人の立場と違っていますからね。
だから裁判官が身をもって守ってあげないと、その人たちの利益は損なわれてしまいます。
穂高教授のモデル・穂積重遠教授が特別弁護人となっていた
さらに、#虎に翼 では穂高教授が「共亜事件」の弁護に協力していましたが、実際の「帝人事件」でも、穂高教授のモデル・穂積重遠教授が特別弁護人となっていました。
— 日本評論社 法律編集部 (@nippyo_law) May 3, 2024
法学セミナー52号(1960年)山主政幸「穂積重遠(日本の法学を創った人々 8)」には、「帝人事件特別弁護速記」が引用されていました。 pic.twitter.com/zdC5u67VbG
穂高教授のモデルの穂積重遠教授が帝人事件の特別弁護人になっていました。
無罪になった人々
無罪になった人々は以下の通りです。
- 元鉄道大臣 三土忠造
- 元商工大臣 中島久万吉
- 元大蔵次官 黒田英雄
- 元大蔵省 銀行局長 大久保偵次
- 元大蔵省特別銀行課長 大野龍太
- 元大蔵省台湾銀行管理官 相田岩夫
- 元大蔵省銀行検査官補 志戸本次朗
- 元台湾銀行頭取 島田茂
- 元帝人社長 高木復亨
- 元帝人取締役 永野護
- 元台湾銀行理事 柳田直吉
- 元台湾銀行整備課長 越藤恒吉 ※猪爪直言に相当
- 元帝人常務 岡崎旭
- 旭石油社長 長崎英造
- 元 富国徴兵保険支配人 小林中
- 元帝人監査役 河合良成
帝人事件の影響は?平沼騏一郎枢密院副議長によるもの?
帝人事件は、日本の政界に大きな影響を与えました。この事件によって、当時の斎藤実内閣は総辞職を余儀なくされ、政権交代が行われました。
帝人事件は、政官財癒着の構造が広く存在していたことを明らかにし、国民の政治不信を招きました。
この事件は、その後の日本の政治体制に大きな影響を与えたと言えるでしょう。
現在では、斎藤内閣を倒壊を計画した政友会久原房之助(くはらふさのすけ)派、司法界の長老平沼騏一郎(きいちろう)枢密院副議長、軍部、右翼の策謀があったとされています。
戦後、極東国際軍事裁判においてA級戦犯として終身禁錮刑に処され、昭和27年8月に服役中に亡くなります。
ちなみに、平沼騏一郎は、2017年9月まで衆議院議員をされた平沼赳夫(たけお)を養子として迎えました。
このように、政友会の内紛として発生し、そこに検事の不満や、軍、右翼等の様々思惑が雪崩込んで肥大したとみるべきであり、最初から諸勢連合の「大陰謀」が計画されていたとみるのは穿ち過ぎであるとされています。
帝人事件の教訓
帝人事件は、戦前の日本における政治腐敗の典型的な例として、現在も語り継がれています。
この事件は、以下のような教訓を与えました。
- 政治家は常に国民の利益を第一に考え、公正な政治を行うべきである。
- 政官財癒着は許されない。
- 国民は政治家に対して常に監視の目を光らせ、不正があれば声を上げるべきである。
帝人事件は、過去の歴史上の事件であるだけでなく、現代社会にも通じる重要な教訓を含んでいます。
この事件を教訓として、より良い社会の実現を目指していく必要があります。
ネタバレ!モデルの人事件を朝ドラ「虎に翼」の共亜事件に置き換えると・・
朝ドラ「虎に翼」で扱われる共亜事件について以下のように当てはめると・・
- 帝人→共亜
- 台湾銀行→帝国銀行
とドラマの元ネタとして見えてきますね。
共亜紡績の株価が急上昇することが分かって、不正な株取引で得た利益を政界にばらまいた贈収賄容疑の共亜事件。
帝都銀行が株取引を実行し、直言は高井理事と共謀して賄賂を贈ったとして、新聞の紙面にも載りました。
どのように展開されるのでしょうか。
高等試験に落ちまくりの下宿人佐田優三が混乱する猪爪家を救う
直言が勾留されて、混乱する猪爪家
そこに佐田優三が、直言の予審がおわるまで何もできないなど、
自身の知識を活用して落ち着かせます。
彼の活躍も楽しみですね。
そんな活躍に、花岡からは寅子の「お兄さん」と言ってしまうシーンも。
佐田優三については、
>>>虎に翼ネタバレ佐田優三!モデルは和田芳夫!キャスト紹介
に詳しく紹介しておりますのでこちらも併せて是非ご覧ください。
直言の予審で何があった?
直言は取り引きの実務を行ったとしてつかまり、予審を受けることに。
共亜事件で若島男爵ら現職大臣が逮捕され藤倉内閣は総辞職
そして、日和田から証言次第で全員を釈放できると取り調べを受けた直言がひどい拷問をうける。
その裏には・・検察畑出身の貴族院議員・水沼淳三郎(平沼騏一郎のモデル?)が・・・予審が終了し、16名の被告人全員が裁判をうけることに。
帝都銀行の経理第一課長 猪爪直言は贈賄罪で起訴、罪を白状したと新聞で報じられます。
予審で拷問をうけて・・「私がやりました」ととうとういってしまう直言。
弁護人になった穂高だが、本人が罪を認めている以上無罪を争うことはできないが
寅子にいわれなき罪を背負っているなら聞き出してほしいとお願いをします。
高井理事のお願いでウソの罪を白状した直言
調書の証言と、はるの主婦之手帖の記録に14か所の齟齬があることが分かった寅子
直言に問い詰めると、若島大臣やお偉方が勾留で参っており、直言が自白することでみんなが解放され、下っ端が責任をとって刑を軽くすることを考えようと高井理事に頼まれたことを自白する。
それでも、直言は、罪はすべて受け入れ、裁判でもやったと証言するという。
新聞記者の竹中が真実を追っていた
「法は正しい者を守るものだと信じたい」と思う寅子は、花岡と二人で署名運動をしていると、もみ消しをはかる見知らぬ男に襲われそうになり、新聞記者の竹中に救われる。
新聞記者の竹中は、法廷劇を扱うゴシップ紙の新聞記者と思いきや、共亜事件で内閣総辞職したのでなく、検察畑出身の貴族院議員・水沼淳三郎が引き起こしたのではと考えていました。
さらに、署名活動など、これ以上関わると身の危険があるので、寅子に署名活動をなど共亜事件に首を突っ込むことを止めるよう忠告します。
公判が始まり日和田検事から心理的に追い詰められた直言が弱音に・・・
昭和11年1月に第1回公判が始まる。
被告人として直言が生年月日と住所を言うが、原告の裁判官:日和田検事の扇子を叩く音に動揺して倒れてしまう。
というのも、予審の時点で、日和田から、
扇子で机をたたきながら、「君の証言で全員を釈放できるんだ」と洗脳されていたことを思い出してしまった。
そんな直言に娘が足を突っ込むぞという新聞記者の竹中は、娘が襲われるぞという。
それまで、暴漢に襲われたことは、直言もはるも知らなく、親の私にも・・という直言に
「怖かったと泣きついたりできると思うかね?隠したくなるだろう」と叱責する穂高、
日和田らに逆らうのが怖いという弱気の直言にそんなことは絶対にさせないという穂高。
(なお、三淵嘉子さんの父、武藤貞雄さんは帝人事件とは全く関係ないです)
日和田検事から贈賄の罪に問われる直言は起訴事実について罪を認めるかと聞かれ・・
日和田か検事ら株券、及び、金品供与とほう助の贈賄の罪に問われるものであると言われ・・
直言は「ごめんな・・トラ」と寅子に迷惑をかけたことへの謝罪として、
「起訴事実について私はすべて否認します」といって、法廷内がざわつきます。
そして、直言は、取り調べの際、直言が罪を認めれば、上司や他の仲間の罪が軽くなると強要された事を自白します。
それでも、検察は、検察は自白を強要したことを認めておらず、
弁護側が提示する証拠についても、日和田検事は記録はいくらでも偽装できると突っぱねるなど、自白を理由にして、裁判の雲行きは怪しい状況は変わらなかった。
弁護人の穂高に寅子が監獄法第49条について指摘する
穂高がはるの手帳を元に、呉服店の帳簿と日付と金額が一致しているなど被告人の行動を裏付ける十分な証拠であるという。
さらに、検察の自白以外の証拠検証がおそまつだと、尋問による自白の強要は人権蹂躙(じんけんじゅうりん)だと指摘する。
また、長時間にわたり直言に革手錠したことを指摘すると、日和田検事は、直言が暴れて自傷してしまう可能性がり看守が安全のため自らの判断でやったと反論します。
そこで「はて?」と思う寅子は、穂高に監獄法施行規則第49条を指摘します。
監獄法施行規則第49条
戒具(かいぐ)は典獄(てんごく)刑務所長の命令あるにあらざれば之を使用することを得ず
穂高は、革手錠をしたことについて、所長の許可を得たのかと指摘する穂高に記憶にないという日和田検事
依頼人が大暴れしていたのははっきりと覚えていたのに、都合よく忘れるなという穂高。
検察のテキトーな捜査方法に対して批判が高まります。
そんな感じで、16名の100回以上の審理がおわります。
ある日、法廷を去ろうとしている桂場判事に水沼淳三郎が
「君の正義感を出すのは今ではない、それに見合う地位に就いた時だ、悪いようにはしない、約束しよう」と声を掛けます。
直言は起訴事実について「すべて否認」そして全員無罪
そして、1936年(昭和11年)11月、判決言渡期日。
法廷のロビーでは緊張で下痢に耐える優三と山田よねら明律大学の学友たちが待つ中
「主文、被告人らはいずれも無罪」が言い渡され、
「検察側が提示する証拠は自白を含め信憑性が乏しく、犯罪の事実そのものが存在しないと認めるものである」
と判決がでます。
日和田が控訴審で判決を覆させるといいますが、水沼淳三郎は役目を果たしたからもういいと控訴はしませんでした。
このように、
・結審は被告人全員が無罪確定で終わります
石田和外のモデル、判事の桂場が判決文を書いた!
共亜事件の裁判においても、
「あたかも水中に月影を掬(すく)いあげようとするかのごとし」
と桂場が判決文を書きます。それを明律大の穂高が見抜き、
「それにしても名判決文だったね、君の中のロマンチシズムや怒りが表れている」
と桂場をほめたたえます。
桂場は司法の独立の意義もわからずズカズカ入ってくることに怒りを感じており、
猪爪寅子も同様だと言います。
年が明けて、甘味処「竹もと」で寅子に会いお礼を言われますが、法を司る裁判官として当然のことをしたと言います。
寅子は、持論の法律は守るための盾や毛布のようなものだと考えていたが、東亜事件で違うと考え、
法律は道具でなく、法律自体が守るものとして、水源を例にきれいな水を正しい場所に導かなれればならないことを伝えます。
そういった寅子に、「裁判官になりたいのか?」とアゲて、「ご婦人は裁判官になれなかった」どサゲます。
さらに高等試験を受けるのはやめたほうがいいと言い出す桂場に、寅子はお礼を言います。
戦後に水沼淳三郎はモデル平沼騏一郎と同様にA級戦犯に!
桂場に悪いようにはしないと言った、水沼淳三郎は戦後、A級戦犯になりました。
久藤が「軍の甘い汁を吸っていた連中は全員いなくなって一度外された出世街道に、またこうして舞い戻ってきた。」と桂場に語りかけました。
共亜事件のシーンを直筆サイン入り数量限定のシナリオ集で再現↓↓
朝ドラ「虎に翼」共亜事件の元ネタは帝人事件!裁判で無罪の判決!まとめ
帝人事件は、1934年に発覚した、日本の戦前政界を揺るがした疑獄事件です。
この事件は、単なる企業間の不正取引にとどまらず、政官財癒着の構造や、当時の社会情勢を浮き彫りにする事件として、歴史的にも重要な意味を持っています。
帝人事件は、日本の政治史における重要な事件であり、この事件から学ぶべき教訓は多く、現代社会にも通じるものがあります。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。