2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」
朝ドラ「虎に翼」で扱われた裁判のモデルや元ネタについてまとめてみました。
ドラマに出てくる裁判は実際にあった裁判の判例をモチーフにしていると筆者は考えています。
この裁判のモデルや元ネタの記事を通じで、
さらにドラマを見る際のリアル感を体感していただけると嬉しいです。
虎に翼の裁判のモデルや元ネタは?実際の記録に迫ってみる
朝ドラ「虎に翼」で登場した裁判についてのモデルや元ネタについてまとめを紹介します。
猪爪智子が初めて傍聴した裁判!物品引渡請求事件と権利の乱用
本日の「#虎に翼」で、寅子たちが傍聴した裁判の元ネタは、大判昭和6年7月24日民集10巻750頁・物品引渡請求事件のようです。
— 日本評論社 法律編集部 (@nippyo_law) April 12, 2024
日本評論社で刊行した、法律時報4巻3号(1932年)105頁には、弁護士・杉之原舜一による判例評釈が掲載されていました。
「権利の濫用」という単語がここからも読み取れます👇 pic.twitter.com/7v7x0Sl3Ss
朝ドラ「虎に翼」の主人公猪爪寅子は、山田よねを尾行して東京地裁につき、その流れではじめて裁判を傍聴する。
原告は嫁入り道具の鏡台や茶だんすや、形見である着物の返還を求めているのに対して、
被告は離婚が成立していないうちは財産は夫が管理するものであって妻に返還する筋合いない
との主張し、被告は原告に対し物品を引き渡すべしとの判決が下だります。
理由としては、夫婦生活が破綻した状況で、権利の乱用し妻を苦しめる目的だからということでした。
この元ネタが、上のXのポストにある判例と考えられました。
裏では昭和戦前期の判事、検事、弁護士の法衣までみっちり準備されていた
NHK連続テレビ小説「虎に翼」の第2週では、主人公たちが裁判を傍聴していました。
— 日本大学校友会【公式】 (@nichidai_alumni) April 12, 2024
このドラマの制服考証を #日本大学商学部 の刑部芳則教授が担当しています。
今後も楽しみにご覧ください☺️#虎に翼 #制服考証 #日大https://t.co/kxadJY7m3t
日本大学商学部の刑部芳則教授が制服考証をされていました。
防虫剤入りの毒饅頭事件
明律祭の法廷”劇”ではあります。結局は山田よねと男子学生のケンカにより、劇は中止となってしまいます。
この劇の元ネタとなった事件があります。
>>>虎に翼の法廷劇の元ネタは?女医広瀬菊子のチフス饅頭事件
にて史実を詳しく書きましたので是非お読みください。
共亜事件
共亜事件で、寅子の父親、直言をはじめ、現職大臣が逮捕。
裁判の末、全員無罪となりました。
この共亜事件のモデルになった出来事があります。
共亜事件のモデルとは?
🐯今週の #虎に翼 小ネタ
— 日本評論社 法律編集部 (@nippyo_law) May 3, 2024
「共亜事件」元ネタは「帝人事件」といわれていますが、このときの主任判事は、石田和外氏でした。松山ケンイチさん演じる桂場等一郎のモデルのようです。
法学セミナー278号(1978年)「石田和外氏に聞く[上](法曹あの頃 第三〇回)」には、事件当時の想いが綴られていました。 pic.twitter.com/UbIj7vUNuB
さらに、#虎に翼 では穂高教授が「共亜事件」の弁護に協力していましたが、実際の「帝人事件」でも、穂高教授のモデル・穂積重遠教授が特別弁護人となっていました。
— 日本評論社 法律編集部 (@nippyo_law) May 3, 2024
法学セミナー52号(1960年)山主政幸「穂積重遠(日本の法学を創った人々 8)」には、「帝人事件特別弁護速記」が引用されていました。 pic.twitter.com/zdC5u67VbG
この共亜事件のモデルになった出来事については、
>>>虎に翼の共亜事件とは?元ネタは帝人事件!裁判で無罪判決
にて、詳しく紹介しましたので是非お読みください。
落合洋三郎教授の著書が出版法27条違反で訴えられた裁判
帝大経済学部の落合洋三郎教授の著書が出版法27条違反にふれ安寧秩序を妨害する疑いで検察に落合教授は起訴されてしまい弁護する雲野。
検事は「疑いがあるの一点張り」寅子が徹夜で書籍を調べ、それをみた雲野が出版法の違反であれば、時効の1年が成立していると無罪を証明し、1審は無罪の判決がでました。
元ネタ・モデルは河合栄治郎事件
落合洋三郎教授の著書が出版法27条違反で訴えられた裁判、元ネタは河合栄治郎事件です。
河合栄治郎事件は、1938年から1943年まで続いた、東京帝国大学経済学部教授の河合栄治郎を社会的に消そうとした右翼・軍部・ファシズム勢力による思想弾圧事件でした。
事件の発端は、軍部・ファシズムの勢力が拡大し、満州事変、五・一五事件、二・二六事件が起こる中、自由主義者の河合栄治郎が「五・一五事件の批判」「二・二六事件の批判」などを著し、ファシズム批判の論陣を張りました。
それに危機感を抱いた蓑田胸喜、三井甲之などの右翼は国会や『原理日本』『帝国新報』などで「赤化教授」「人民戦線思想家」と河合を攻撃し、東大総長室まで押し掛け、河合の罷免を迫りました。
それでも埒があかないと悟った右翼は軍部・政府を動かし、1938年2月、内務省はファシズム批判に関連する河合の著書『ファッシズム批判』『時局と自由主義』『社会政策原理』『第二学生生活』の四冊を発禁処分にしました。
その後、河合は著書出版社社長とともに、1939年2月、出版法(第17条)「安寧秩序を紊るもの」に当たるとして起訴されました。
東京地裁では、河合は社会派弁護士の海野普吉や弟子で特別弁護人の木村健康の応援のもと、自己の無罪を主張しました。
その主張が通り、石坂修一裁判長(後に最高裁判事)が無罪判決を下しましたが、1941年4月からの東京高裁では、一転有罪(300円の罰金)となり、最高裁で棄却となり、1943年春に刑が確定しました。
河合栄治郎事件の意義とは?
この事件は、右翼・軍部・ファシズムの台頭の中、まずマルクス主義が弾圧され、次いで自由主義までがその対象となりました。
その第一弾は矢内原事件であり、第2弾は河合栄治郎事件であり、第3弾は津田左右吉事件でした。
社会に与えた衝撃の大きさは思想弾圧事件の中では最大級でした。
世の中はまさに右翼・軍部・ファシズムに率いられ戦争に突入する時代を象徴する出来事でした。
河合は裁判などで過労が重なり、判決確定の翌年に病気で亡くなりました。
河合事件が河合の寿命を縮めることになったが、それだけ河合はファシズム批判やファシズムからの弾圧を身をもって体現したのでした。
朝ドラ「虎に翼」ストーリーの概要
昭和4年(1929年)、日本初の女性専門の法律学校が開設されました。
そこには、当時の社会に適応できないで、不安や抑圧を感じる女性たちが集いました。
「虎に翼」物語の主人公である猪爪寅子もその一人です。
彼女たちは、「魔女部」と揶揄される学び舎で法律を学び、
自らの職業への道を切り開く覚悟を決意しました。
その法律学校から昭和13年(1938年)、日本初の女性弁護士が誕生しました。
女性弁護士の一人にもちろん、寅子もおり、彼女たちは全国的に注目を集めました。
でも、彼女たちが弁護士として社会に進出した時節、日本は戦争への道を歩み始めていました。
彼女たちは法律の知識を得た翼で羽ばたこうとしましたが、
その翼はもぎ取られて、失速してしまいました。
昭和20年(1945年)、焼け野原の中で立ち尽くす寅子は全てを失いました。
でも、過去に学んだ法律だけが、生き抜くための糧でありました。
寅子は裁判官になることを決意し、
戦争で亡くした親や困難に立ち向かう女性や子どもたちのために、
家庭裁判所の設立に尽力しました。
そして、寅子はついに裁判官となりました。
寅子と仲間たちは、政治や経済では解決できない、
困難に立ち向かう人々の世界を理解し、
その苦境から救うために情熱を持って取り組みました。
虎に翼の裁判のモデルや元ネタは?実際の記録に迫ってみる!まとめ
2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」
朝ドラ「虎に翼」で扱われた裁判のモデルや元ネタについて紹介いたしました。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。