「#虎に翼」に「#ブギウギ」 #茨田りつ子 ( #菊地凛子 )登場!夢のコラボが実現「役者冥利に尽きます」#朝ドラhttps://t.co/s7FjrefOtA
— シネマトゥデイ (@cinematoday) June 27, 2024
2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」愛のコンサートの出演歌手は誰か、曲は東京ブギウギと予想とした理由を紹介します。
なお、淡谷のり子さんが家庭裁判所のポスターとして登場した史実はありません。
朝ドラ「虎に翼」で家庭裁判所の父である多岐川幸四郎が家庭裁判所のPR活動の一環として、
「愛のコンサート」を開催します。
なお史実では愛のコンサートはなくドラマオリジナルのイベントです。
この「愛のコンサート」に出演する人気歌手については
虎に翼の前半戦最後回のサプライズ出演の為か、
放送予告の中にも出演者の情報が不明な状況です。
なので、筆者が勝手に出演歌手を予想しました。
- 本命:福来スズ子(コロンコロンレコード)
- 対抗:水城アユミ(大和礼子の娘)
- 大穴:茨田りつ子(コロンコロンレコード)→結果、大穴でしたww
また、「愛のコンサート」では「東京ブギウギ」の曲が歌われると予想しました。
ネタバレでなく、あくまで筆者の予想ですのでご了承ください。
マスコミや世間では「福来スズ子」と騒いでいるので
朝ドラちゃんねるは大穴
女優の菊地凛子さん演じるブルースの女王!歌手「茨田りつ子」を推しますw
なお、茨田りつ子のモデル:淡谷のり子さんが家庭裁判所のポスターとして登場した史実はありません。
朝ドラ「虎に翼」愛のコンサートの出演歌手は誰なのか、筆者が予想した理由と
「東京ブギウギ」の曲が歌われると、筆者が予想した理由を詳しく紹介いたします。
→「雨のブルース」でした。サーセン、雨のブルースも紹介します。
朝ドラ「虎に翼」愛のコンサートの歌手は誰なのか予想してみた!
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『虎に翼』で描かれた「愛のコンサート」は、家庭裁判所の存在を広く知ってもらうために開催されました。
特例判事補に任命された主人公・寅子が、「愛のコンサート」の準備に奮闘します。
多岐川室長からの指示で、寅子は出演歌手の選定や調整を行い、星長官の期待もあって、
一層忙しくなりながらも準備に取り掛かります。
そして久藤ことライアンの力もあり、ある人気歌手に出演が決定します。
寅子は人気歌手に「すべての人間を平等に幸せにできる最高の仕事」と話します。
「愛のコンサート」の出演歌手は6月28日7時30分にならないとわかりません。
→6月27日7時30分に判明してしまいました・・・大穴でした・・
なので、筆者が出演歌手を予想してみました。
- 本命:福来スズ子
- 対抗:水城アユミ
- 大穴:茨田りつ子★
いずれも、前作の朝ドラ:ブギウギの出演者です。
寅子が山田よねに初めて会った際、「水の江瀧子」見たいと言った場面がありました。
そこから、ブギウギ関係者かな・・と
筆者としては、「寅子、そこは橘アオイじゃ」と突っ込みましたが。
ちなみに、橘アオイは前作ブギウギで梅丸少女歌劇団(USK)の第1期生でした。
「水の江瀧子」は梅丸少女歌劇団のモデルになった松竹歌劇団の第1期生でした。
ちなみに、梅丸少女歌劇団のモデルは松竹歌劇団と姉妹楽団であるOSK日本歌劇団です。
それでは、筆者が予想した人気歌手をご紹介いたします。
OSK日本歌劇団のレビューをご覧になりたい方は以下のリンクを参照ください。
虎に翼とブギウギの時系列を整理
『虎に翼』の愛のコンサート前後の出来事について『ブギウギ』軸で時系列にまとめました。
1948年
- 靴磨きの少年からタイ子親子と再会、ラクチョウのおミネと出会う
- ジャングル・ブギ発表
1949年春
- 愛のコンサート、茨田りつ子「雨のブルース」
1949年夏
- タナケンと映画の仕事
- 愛子の歌、ヘイヘイ・ブギー発表
- 大野が家政婦になる
このような時系列となります。
日本コロンコロン株式会社・・ってコロコロンレコード?
第61話で愛のコンサートに出演する歌手を交渉するため、
寅子が日本コロンコロン株式会社に電話するシーンがありましたね・・
コロンコロンレコードから出演する歌手が出るのかな?
まぁ、「脚本協力 足立紳」ですし、脱線しますが、
花江がメザシを焦がしたシーンは、前作ブギウギで
山下マネージャーが三鷹に訪れた際、
スズ子が庭先で魚を焦がしたシーンを連想させますね。
ちなみに、コロンコロンレコードは、
前作ブギウギで主人公の花田鈴子(演:趣里)が、このレコード会社と契約し、
その才能を開花させました。
コロンコロンレコードのモデルは、実際のレコード会社である
日本コロムビア(コロムビアレコード)とされています。
ただ・・62話では・・会場は押えられたけど・・出演歌手が決まっていない・・
61話では会場は押さえられたが、
出演歌手は決まらず・・・
ということは電話を掛けたコロンコロンレコード所属歌手は無し?
それでは、筆者の予想を詳しく紹介いたします!
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本命:福来スズ子!コロンコロンレコード所属
画像引用元:楽天
福来スズ子は、前作の朝ドラ「ブギウギ」で描かれる架空の人物、ブギの女王です。
昭和初期から戦前・戦後、そして日本の高度成長期を通じて活躍するスター歌手の物語を中心に展開しました。
「ブギウギ」は、実在の歌手である笠置シヅ子さんをモデルにしており、
「東京ブギウギ」など数々の名曲と共に「スイングの女王」「ブギの女王」と称された
昭和の大スターの生涯を描いています。
福来スズ子は、大阪の下町の銭湯「はな湯」の看板娘として育ち、
小さな頃から歌と踊りが大好きでした。
多岐川のリクエストにある「どうせならどどんと派手な歌手がいいな。」にもマッチしますね。
道頓堀にある梅丸少女歌劇団(USK)に入団し、やがて歌の才能を発揮し始め、戦後のスターとなっていきます。
寅子が女学校を卒業間際にお見合いをさせられそうになり、
お見合いの前夜に東京から大阪へ行こうとして家を抜け出そうとします。
その理由として、「梅丸少女歌劇団に入ろうと思って」と答えています。
また、寅子と同じシングルマザーという境遇でもあり、意気投合すると考えられます。
また、「ブギウギ」の最後の最後、スズ子が「おかわり!」が伏線だと考えました。
対抗:水城アユミ
水城アユミは、前作の朝ドラ「ブギウギ」でに登場する架空のキャラクターです。
演じるのは若手女優の吉柳咲良さんです。
水城アユミは、福来スズ子の先輩である大和礼子と、歌劇団の伴奏者:股野義男の娘で、
大人気の若手歌手として描かれました。
水城アユミのキャラクターは、昭和の大スターである
- 美空ひばり
- 江利チエミ
- 水谷八重子
の経歴やイメージを重ね合わせたものとされています。
水城アユミは、福来スズ子に憧れ、スズ子の歌「ラッパと娘」が大好きで、
年末のテレビ番組「オールスター男女歌合戦」で「ラッパと娘」を歌いました。
福来スズ子をリスペクトする次世代の歌手で、
家庭裁判所の予算の都合もあり福来スズ子の代わりに出るのではないかと考えます。
寅子が「福来スズ子なんてよべるわけないでしょ」と言いましたし。。。
水城アユミ役の吉柳咲良さん写真集『Only』
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水城アユミ役の吉柳咲良さんは、写真集『Only』 を出版されています。
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大穴:茨田りつ子!コロンコロンレコード所属
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茨田りつ子は、前作の朝ドラ「ブギウギ」でに登場する架空のキャラクターです。
コロンコロンレコード所属の歌手です。
演じるのは実力派女優の菊地凛子さんです。
茨田りつ子のキャラクターは、実在の歌手である「ブルースの女王」と称された
淡谷のり子さんをモデルにしており、戦前から戦後にかけての日本の音楽シーンを彩った重要な人物です。
茨田りつ子は、劇中で終戦間近の鹿児島の海軍基地で慰問公演を行い、
特攻隊員たちの前で「別れのブルース」を熱唱するシーンが特に印象的です。
このシーンは、淡谷のり子さんの実体験をベースにしており、視聴者に強い感動を与えました。
茨田りつ子は、戦争が終わっても若き特攻隊員たちの言葉が耳から離れず、
心に傷を負っていたという背景を持ち、ステージに立った際には、
「このような(平和な)日々がどこまでも続いていきますように」と観客に呼びかけ、
涙を流しながら歌います。
茨田りつ子の歌声は、多くの人々に勇気と希望を与えたとされています。
ただ、茨田りつ子は全世代に受けが良い・・というわけでもなく、
「愛」というより「平和」感が強いので家庭裁判所の「愛」には不釣り合いかも・・
でも、寅子より年上の茨田りつ子が、大人の魅力をみせつけ家裁をもりあげる(かも?)
「福来スズ子なんてよべるわけないでしょ」と言った寅子・・・
もし、茨田りつ子ならそれは内緒にしてね・・
それと、寅子と同じ、りつ子は裁縫が苦手なのは納得ですね。
愛のコンサートでは「雨のブルース」を歌った茨田りつ子
家庭裁判所の愛のコンサートで、茨田りつ子は「雨のブルース」を歌いました。
「雨のブルース」は、淡谷のり子さんが歌った曲で、昭和13年(1938年)にリリースされました。
この曲は、作詞家の野川香文さんと作曲家の服部良一さんによって制作されました。
歌詞は、雨が降り続ける中で悩みを洗い流すというテーマを描いています。
涙に濡れながら、夜ごとに嘆く主人公が登場します。
二度と戻らない心の青空を思い出しながら、夜の雨をすすり泣きます。
淡谷のり子さんの美しい歌唱と、感情豊かな歌詞が組み合わさって、聴く人々の心に深く響く曲となっています。
茨田りつ子のモデル淡谷のり子さんについて
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淡谷のり子さんは、1907年に青森県青森市で生まれ、1999年に東京都で亡くなりました。
淡谷のり子さんは日本のシャンソン界の先駆者として知られ、愛称は「ブルースの女王」でした。
「別れのブルース」や「雨のブルース」などの大ヒット曲を生み出しました。
また、晩年まで精力的に活動を続け、85歳で新曲を発表するなど活発的に活動しました。
茨田りつ子役の女優菊地凛子さんのプロフィール
茨田りつ子役の女優菊地凛子さんのプロフィールを紹介します。
本名 | 染谷百合子(そめたに ゆりこ) |
旧姓 | 菊地 |
生年月日 | 1981年1月6日 |
出身地 | 神奈川県秦野市 |
血液型 | O型 |
身長 | 160cm |
所属事務所 | オスカープロモーション |
職業 | 女優 |
2004年に菊地百合子から菊地凛子に改名。
2006年アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バベル」で聾唖の女子高生を演じ、
アカデミー助演女優賞にノミネートされました。
以後、海外の監督から注目されるようになり、日本国内でも多くの映画やドラマに出演しています。
愛のコンサートの曲は東京ブギウギと予想!なぜ?
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『虎に翼』の第53話では、家庭裁判所設立準備室の室長・多岐川幸四郎が
「東京ブギウギ」の鼻歌を歌うシーンが描かれました。
多岐川が「今日こそは早く帰らねば。愛しの香子ちゃんのもとへ」
と嬉しそうに帰り支度をしながら歌っている姿が描かれています。
多岐川の鼻歌は、前作『ブギウギ』のヒロイン・福来スズ子が
1947年に戦後の復興ソングとして発表した楽曲です。
寅子のモデルとなった三淵さんと、
スズ子のモデルとなった“ブギの女王”笠置シヅ子さんは1914年生まれの同い年です。
1948年を描いている『虎に翼』で『東京ブギウギ』はヒットしていたという背景があります。
もともと「愛のある家庭裁判所」を打ち出したい多岐川の意向もあり、
筆者は出演歌手は「東京ブギウギ」を歌うと予想しています。
東京ブギウギとは?
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「東京ブギウギ」は、1947年に発表された日本のポピュラー音楽で、
鈴木勝が作詞し、服部良一が作曲した歌謡曲です。
前作ブギウギで服部良一がモデルになったのが羽鳥善一でしたね。
「東京ブギウギ」は、笠置シヅ子によって歌われ、
戦後の日本を象徴する流行歌として広く知られています。
特に、終戦から復興に向かう日本の象徴として、
他の名曲「リンゴの唄」「青い山脈」と並んで親しまれました。
「東京ブギウギ」のヒットは、
笠置シヅ子が1947年10月14日から翌月まで日劇で行った公演「踊る漫画祭・浦島再び竜宮へ行く」の挿入歌として歌われたことがきっかけでした。
また、1948年の正月映画「春の饗宴」に笠置が出演して劇中で歌い、大ヒットとなりました。
当時の日本では、歌手が直立不動で歌うのが通例でしたが、
笠置シヅ子は舞台上をダイナミックに動き回りながら歌い踊るスタイルで、戦後の解放的な気分を反映していました。
「東京ブギウギ」は、後に多くのアーティストによってカバーされ、日本の音楽史において重要な位置を占めています。
NHK紅白歌合戦では、1953年の第4回に笠置シヅ子が出演して歌唱しました。
また、映画「犬神家の一族」の劇中でこの楽曲が流れるシーンがあるなど、文化的な影響も大きい曲です。
「東京ブギウギ」に特化したアルバム、笠置シズ子さんだけでなく、
美空ひばりさんや、八代亜紀さんの「東京ブギウギ」も収録された
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愛のコンサート第2部は寅子のモンパパ?
無事、愛のコンサートが終わった後、法曹会館の屋上で打ち上げを行います。
多岐川から「愛のコンサート第2部だ」と歌のリクエストを受けた寅子。
寅子は、「モンパパ」を歌い始めました。
打ち上げをしている時間、猪爪家は夢の中・・・
「分かってくれているって俺には分かってたよ。」
と花江の夢の中でイマジナリー直道も登場しました。
幸せだった〜!
— 森田望智 Misato Morita (@moritamisato) June 29, 2024
今週もありがとうございました✨#虎に翼 pic.twitter.com/EbfzovWM2i
そして歌う寅子は優三を思い出しながら・・
そして・・・飲みすぎで翌日寝坊をする寅子・・・
モンパパとは?
「モンパパ」は、昭和初期の日本で大流行した楽曲です。
「モンパパ」のキャッチーなメロディと歌詞が多くの人々に愛されました。
この曲は、1931年にフランス映画『巴里っ子』で初めて披露され、
宝塚や榎本健一、仁村定一によって日本国内で大ヒットしました。
寅子のモデルになった史実の三淵嘉子さんも余興で歌っていました。
家庭局の面々は優しい人が多く三淵嘉子さんが、
旦那さんを戦争で亡くしていたことを知っていたので
三淵嘉子さんがこの歌を歌うと、非常に目頭が熱くなったという回想を残した人もいました。
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愛のコンサート!家庭裁判所史実は?淡谷のり子さんはポスターになっていない
家庭裁判所の設立直後の広報活動については、以下のようなイベントが行われたといわれています。
家庭裁判所広報月間「家庭裁判所を知ってほしい」と水谷八重子さんがポスターに!
- 家裁広報月間:多岐川幸四郎が企画した「家裁広報月間」という大々的な広報活動は、宇田川潤四郎が企画した「家庭裁判所創設記念週間」がモデルとなっていると考えられます。
- 愛のコンサート・人気モデルのポスター・ラジオ出演:愛のコンサートの史実はなくドラマオリジナルです。ただし、BBS活動費を集めるためにチャリティーコンサートをしました。ドラマでは人気モデル「茨田りつ子」を起用したポスター配布、愛のコンサートの開催、そして多岐川幸四郎と佐田寅子のラジオ出演などが行われました。
- ポスター作成:また、家庭裁判所を認知・普及させるために約10万枚ものポスターが作られました。そのポスターのモデルは洋装の水谷八重子で、少年と向き合って家庭裁判所の案内文書を読んでいるという内容でした。
。ライアンのモデル内藤頼博さんが元子爵で芸能界にも顔が広く、新橋演舞場の楽屋に行って女優の水谷八重子さんに直談判をしました。
ドラマでは茨田りつ子さんのイラストが描かれていました。 - NHKラジオ番組への出演:宇田川潤四郎は、市川四郎・最高裁家庭局第一課長らの根回しで、NHKの「婦人の時間」というラジオ番組に出演し、「家庭裁判所は愛の裁判所である」と繰り返しPR活動を行いました
- 出張家庭相談:各地のデパートに赴き家庭相談をしました。
- 座談会:全国の中学校や高校で裁判官による説明をしたり座談会を実施。
- 上演会:公民館でフィルム上映や紙芝居などの上演会を実施。
今週の #虎に翼 小ネタ
— 日本評論社 法律編集部 (@nippyo_law) June 14, 2024
清永聡 著『家庭裁判所物語』92頁には、多岐川さんのモデル・宇田川潤四郎と、「花子とアン」のヒロイン・村岡花子によるラジオ対談が紹介されています!
ドラマでも登場している「愛の裁判所」という表現は、ここでも繰り返し使われていました。
本の目次・詳細はリプ欄から👇 pic.twitter.com/pVlWAZ7HTJ
ラジオ「婦人の時間」について、もっと詳しく知りたい方は
是非「家庭裁判所物語」をチェックしてくださいね↓↓
家庭裁判所の広報月間のポスターモデルの水谷八重子さんとは?
画像引用元:楽天
初代水谷八重子(本名:松野八重子)は、1905年8月1日生まれ、
1979年10月1日に亡くなった女優です。
大正から昭和にかけて活躍し、新劇から新派に入り、
戦後は新派の屋台骨を支える大黒柱として日本の演劇界に重きをなしました。
彼女は東京市牛込区神楽坂(現在の東京都新宿区神楽坂)で、
時計商の松野豊蔵・とめ夫妻の次女として生まれました。
数え二つのとき、姉の勢舞は作家の水谷竹紫と結婚したが、
五つのときに父が逝去したため、
八重子は母とともに姉と義兄のもとに身を寄せることになりました。
彼女は1914年に島村抱月に招かれて端役で出演し、すぐに小山内薫に認められました。
その後も新協劇団公演『青い鳥』で兄のチルチル役を演じ、
以後本格的に女優の道を歩むこととなりました。
彼女は新劇、大衆劇双方から引っ張りだこになり、
1923年9月1日の関東大震災後、
義兄の水谷竹紫が第二次芸術座を1924年に創立すると、その中心メンバーとして活躍しました。
その間に井上正夫と一座を組んで本郷座で公演し、新派劇の隆盛に尽力する傍ら、松竹などから映画にも出演しました。
位階は従四位でした。
墓所は築地本願寺和田堀廟所、戒名は水月院釈尼春光です。
彼女の娘である二代目水谷八重子(本名:松野好重)は、
彼女の跡を継ぎ、新派の舞台に専念するようになりました。
朝ドラ「虎に翼」ストーリーの概要
昭和4年(1929年)、日本初の女性専門の法律学校が開設されました。
そこには、当時の社会に適応できないで、不安や抑圧を感じる女性たちが集いました。
「虎に翼」物語の主人公である猪爪寅子もその一人です。
彼女たちは、「魔女部」と揶揄される学び舎で法律を学び、
自らの職業への道を切り開く覚悟を決意しました。
その法律学校から昭和13年(1938年)、日本初の女性弁護士が誕生しました。
女性弁護士の一人にもちろん、寅子もおり、彼女たちは全国的に注目を集めました。
でも、彼女たちが弁護士として社会に進出した時節、日本は戦争への道を歩み始めていました。
彼女たちは法律の知識を得た翼で羽ばたこうとしましたが、
その翼はもぎ取られて、失速してしまいました。
昭和20年(1945年)、焼け野原の中で立ち尽くす寅子は全てを失いました。
でも、過去に学んだ法律だけが、生き抜くための糧でありました。
寅子は裁判官になることを決意し、
戦争で亡くした親や困難に立ち向かう女性や子どもたちのために、
家庭裁判所の設立に尽力しました。
そして、寅子はついに裁判官となりました。
寅子と仲間たちは、政治や経済では解決できない、
困難に立ち向かう人々の世界を理解し、
その苦境から救うために情熱を持って取り組みました。
DVDなら何度でも見ることができます。
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朝ドラ「虎に翼」愛のコンサートの歌手は誰か予想!茨田りつ子の東京ブギウギ?まとめ
今回は、朝ドラ「虎に翼」家庭裁判所のPR活動として行う
「愛のコンサート」の出演歌手は誰なのかの予想「と東京ブギウギ」が歌われると考えた理由について紹介しました。
筆者独自の予想につき、違う展開になることもあることをご了承ください。
でした、ごめんなさい🙇
それでも、「虎に翼」第65話「愛のコンサート」の回はドラマ前半部の完了になります。
是非ご覧になってくださいね。