虎に翼直明の東京少年少女保護連盟の元ネタ実在モデルと伏線は?

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2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」、東京少年少女保護連盟の元ネタ実在モデルと伏線を紹介します。

朝ドラ「虎に翼」の主人公:猪爪寅子の弟:直明がボランティア活動の一環で、

東京少年少女保護連盟のメンバーとして活動
しています。

家事審判所と少年審判所が合併して家庭裁判所を設立しようと奮闘する寅子ですが、

中々うまくいかず、東京少年少女保護連盟の直明が

多くの子供たちを救うことができると訴えると山が動き出しました。

朝ドラ「虎に翼」弟:直明がボランティア活動している

東京少年少女保護連盟には元ネタとして実在モデルの「京都少年保護学生連盟」があります。

多岐川幸四郎さんがアメリカから日本に持ち込んだボランティア活動とドラマでは紹介されました。

また、過去に伏線となった直明が読んでいたアドラーの本と、

「京都少年保護学生連盟」と戦後の社会的混乱の中で深刻化していた

青少年問題を解決するための運動であるBBS運動について詳しく紹介します。

↓↓↓よしもと芸人とBBS運動を学んでみる↓↓↓

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目次

朝ドラ「虎に翼」直明がメンバーの東京少年少女保護連盟の元ネタ実在モデルは?

東京少年少女保護連盟で弟:直明は、戦災孤児と遊んだり相談にのるボランティアをしています。

寅子の上司が、多岐川幸四郎さんと知って驚く直明。

というもの、アメリカから取り入れた少年少女によりそうボランティア活動は、

多岐川幸四郎さんが日本で初めて受け入れた人で、

京都の少年審判所に学生たちを呼んで関西の学生たちを団結させた話をします。

東京少年少女保護連盟の元ネタ実在モデルのルーツは「京都少年保護学生連盟」です。

東京少年少女保護連盟の元ネタ実在モデルは「京都少年保護学生連盟」

東京少年少女保護連盟の元ネタである実在モデルについて、結論を先にお伝えすると、

「京都少年保護学生連盟」です。

「京都少年保護学生連盟」は、1947年に日本で初めて結成されたBBS(Big Brothers and Sisters)運動の団体です。

BBS運動は、戦後の社会的混乱の中で深刻化していた青少年問題を解決するために始まりました。

この団体は、京都市内の大学生によって結成され、その活動は敗戦直後の社会的混乱を背景に、

戦災孤児や非行問題など、当時の青少年問題が深刻化していた状況を改善することを目指していました。

そのため、学生たちは自分たちが最も近い世代の少年たちと手を取り合い、

人生の道を歩むことに喜びを感じていました。

京都少年保護学生連盟の活動は、非行少年の撲滅活動を推進し、

1948年には活動資金をバザーや街頭募金、劇団公演などにより得つつ、

第1回湖畔の集い(12日間)を行いました。

また、1950年の全国組織である日本BBS運動連絡協議会が結成された際にもそれに参画しています。

1953年にはOB会有志による京都少年友愛会が結成され、

1955年にはこれらを統合して「京都BBS会」が誕生しています。

BBS運動発祥の地

ちなみに、京都女子高等学校の正門前にはBBS運動発祥の地の碑があります。

JR京都駅から徒歩30分の所にあります。

このBSS運動についてさらに詳しく紹介します。

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BBS運動(Big Brothers and Sisters Movement)とは?

BBS運動(Big Brothers and Sisters Movement)は、子どもや若者が非行に陥っても立ち直ることができ、

生きづらさを抱えながらも安心して生きていける社会を築こうとする、青年が先導する全国的な運動です。

BBS運動は、1904年にアメリカで始まり、その後1910年代に日本にも紹介され、独自の発展を遂げました。

BBS運動は、非行や生きづらさを抱えた少年たちを対象としたメンタリング活動であり、

同世代の兄や姉のような存在として寄り添い、共に悩み、

共に学び、共に楽しむボランティア活動を行います。

日本におけるBBS運動について

BBS運動は、米国のBig Brothers and SistersMovementが日本に紹介された後、

1913年に基督教青年会の山本五郎がビッグブラザーを「大兄(あにさん)」と訳し、

その思想を紹介したことから始まります。

BBS運動は、不良少年だけでなく、普通の少年や貧困家庭の子ども、親のいない子どもなども支援対象としています。

日本でのBBS運動の発祥は、1947年に結成された「京都少年保護学生連盟」にあります。

この運動は、戦後の社会的混乱の中で深刻化していた青少年問題を解決するために始まりました。

学生たちは、自分たちが最も近い世代の少年たちと手を取り合い、人生の道を歩むことに喜びを感じていました。

その後、全国的な組織への展開が始まり、1948年には「全国B・B・S運動団体協議会」が発足しました。

1952年には日本BBS連盟が結成されました。

現在では、BBS運動は、20~30歳前後の青年が参加し、対象少年の身上に関する秘密を尊重し、その名誉を保持しながら、愛と誠意を持って接する活動となっています。

また、保護司との連携も重要な要素となっています。

保護観察中の少年の場合には、保護司がその少年を補導する責任を持ち、

BBS会員はその補助として活動します。

このように、BBS運動は、青少年の更生保護に深い関心を持つ青年たちが主体となって展開されています。

BBSの活動費を確保するためチャリティーコンサートも


画像引用元:楽天

京都で始まったBBS活動ですが、BBS活動費の確保のため、

名曲「岸壁の母」の二葉百合子さん、宝塚出身の人気女優轟夕起子さんなどが

中心になってチャリティーコンサートを行いました。

京都南座は、連日超満員でした。

このコンサートをモチーフに

家庭裁判所広報月間の「愛のコンサート」が実施されました。

「愛のコンサート」に関する記事は

虎に翼愛のコンサート出演歌手茨田りつ子の東京ブギウギ?家庭裁判所史実は?

をご覧ください。

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BBS運動に参加するには?

BBS運動に参加するには、まず最寄りの地区BBS会や都府県BBS連盟に連絡を取ることが一般的です。

参加者は、友愛とボランティア精神を基礎とし、

非行少年や生きづらさを抱える少年たちが主体的に自らの人生を切り拓き、

前向きな姿勢で自己実現を遂げられるよう、

その一人ひとりに寄り添い、伴走することが求められます。

活動にあたっては、地域や大学などの学域に設立された各地区BBS会等が、

それぞれ活動プログラムの企画、研修、実践活動を行っています。

また、法務省の協力団体として、地域においては保護観察所のほか、

保護司や更生保護女性会等の更生保護ボランティアの方々と緊密に連携することを基本としながら、

地方公共団体や福祉・教育機関等の関係機関・団体との連携や協力・支援により活動を進めています。

参加については、日本BBS連盟の参加するにはのページをご参照ください。

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直明の東京少年少女保護連盟をネタバレ

猪爪直明(イメージ図)

GHQからのお達しで、少年審判所と家事審判所を合併し

家庭裁判所を設立へとこぎつけたい寅子ですが・・うまくいかず・・

ある日、猪爪家で直明のキラキラした目にかけた寅子は、直明を利用します。

後日、家庭裁判所準備室で、少年審判所と家事審判所との話し合いの場で、

東京少年少女保護連盟の直明が大人たちを説得させます。

  • ご婦人や子供の為なら少年審判所と家事審判所は見ている方向は一緒
  • 東京少年少女保護連盟も全国で団結して支援が広がっている
  • 少年審判所と家事審判所が団結すればより多くの子供たちを救うことができる

大人の事情があるのだとは思いますが、

それを取っ払い手を取り合えるのは本当にすてきなことです。

と、直明が話を終わると、その場にいた人たちは1人を除き、

全員感動し、これをきっかけに少年審判所と家事審判所の合併に反対する声は減っていきました。

ちなみに、その一人は直明を利用した寅子で、釈然としない様子でした。

そして時は流れ、直明は中学教師になりました。

直明が東京少年少女保護連盟で活動するとなる伏線となったある本を

この次に紹介いたします。

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直明の東京少年少女保護連盟の伏線はアドラーの「問題児の心理」

猪爪直明(イメージ図)
猪爪直明(イメージ図)

岡山から帰郷した寅子の弟・直明が家族に隠れて読書しているシーンを覚えていますか?

帝大受験を諦めた直明が、寅子と一緒にマッチの箱詰め作業に励みますが、

帝国大学入学式のニュースがラジオから流れ、寅子はビミョーな気持ちになりました。

その夜、家族が寝静まった後、直明は土間でひっそりと本を読んでいました。

偶然起きた寅子が何を読んでいるのか聞くと、アドラーの「問題児の心理」でした。

筆者は、アドラーの「問題児の心理」が東京少年少女保護連盟のメンバーとして

活躍する伏線ではないか筆者は考えていました。

(本を売って岡山から帰る切符代にしたが、「問題児の心理」は売れなかった本でしたね・・・)


アドラーの「問題児の心理」とは?

アルフレッド・アドラーは、問題児の心理についての著者です。

アドラーの理論は現在でも多くの人々に学ばれています。

アドラーは「人生の嘘」を否定する人物であり、たとえどんな事があっても、

人に自分の人生を委ねることを拒否しました。

アドラー心理学のアプローチでは、子供が問題行動をすることには

必ず何らかの理由があると考えました。

例えば、自己主張ができずにストレスを感じている場合や、

親からの注意を引きたいがために問題行動をする場合などがあります。

アドラー心理学のアプローチでは、子供が問題行動をする理由を理解し、

その理由に対する対応をとることで、子供の問題行動を改善することを目指します。

また、アドラーは1920年に世界で初めて児童相談所を開設しました。

当時の非行少年や親子をめぐる問題を、治療と教育を中心に一つの理論を打ち立てました。

それが「アドラー心理学」です。

「アドラー心理学」の理論には

「人間の全ての行動には『目的』があり、『相手役』がいる」という、

いわば「目的追求型の対人関係の心理学」を提唱した第一人者です。

過去のトラウマに苦しんでいる方にとっては納得できない考え方かもしれませんが、

アドラーとは、そのような人物なのです。

このように、アドラーの問題児の心理は、問題行動の背後にある深層心理を理解し、

それに対応することで問題行動を改善することを目指しています。

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朝ドラ「虎に翼」ストーリーの概要

裁判官になった猪爪寅子
猪爪寅子のイメージ図

昭和4年(1929年)、日本初の女性専門の法律学校が開設されました。

そこには、当時の社会に適応できないで、不安や抑圧を感じる女性たちが集いました。

「虎に翼」物語の主人公である猪爪寅子もその一人です。

彼女たちは、「魔女部」と揶揄される学び舎で法律を学び、

自らの職業への道を切り開く覚悟を決意しました。

その法律学校から昭和13年(1938年)、日本初の女性弁護士が誕生しました。

女性弁護士の一人にもちろん、寅子もおり、彼女たちは全国的に注目を集めました。

でも、彼女たちが弁護士として社会に進出した時節、日本は戦争への道を歩み始めていました。

彼女たちは法律の知識を得た翼で羽ばたこうとしましたが、

その翼はもぎ取られて、失速してしまいました。

昭和20年(1945年)、焼け野原の中で立ち尽くす寅子は全てを失いました。

でも、過去に学んだ法律だけが、生き抜くための糧でありました。

寅子は裁判官になることを決意し、

戦争で亡くした親や困難に立ち向かう女性や子どもたちのために、

家庭裁判所の設立に尽力しました。

そして、寅子はついに裁判官となりました。

寅子と仲間たちは、政治や経済では解決できない、

困難に立ち向かう人々の世界を理解し、

その苦境から救うために情熱を持って取り組みました。

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虎に翼直明の東京少年少女保護連盟の元ネタ実在モデルと伏線は?まとめ

2024年前期連続テレビ小説:朝ドラ「虎に翼」、東京少年少女保護連盟の元ネタ実在モデルと伏線を紹介しました。

登校拒否の少年とか非行少年と一緒に相談に乗ったり一緒に勉強を見たりといった、

BBS活動は、大学のサークルなどで活動が広がっていて

現在では全国に500の会が開かれています。

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

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