三淵嘉子(みぶちよしこ)は、日本初の女性判事として知られる人物です。
NHK2024年前期連続テレビ小説 朝ドラ「虎に翼」の主人公:猪爪寅子の母親:猪爪はるのモデルになりました。
ちなみに、猪爪寅子のモデルである三淵嘉子は、
男性社会だった法曹界に道を切り開き、家庭裁判所の創設にも尽力しました。
そんな三淵嘉子の歩みを支えたのが、母親の武藤ノブの存在です。
今回は、三淵嘉子と母親の武藤ノブについてエピソードを交えながら
困難を乗越え道を切り開いた女性について、詳しく紹介します。
三淵嘉子の母親武藤ノブとは?
NHK連続テレビ小説 朝ドラ「虎に翼」猪爪はるのモデルでもある、武藤ノブは、三淵嘉子の母親です。
通称は信子と言われています。
武藤ノブの生い立ち
武藤ノブは、香川県丸亀市で生まれました。
幼い頃に両親を亡くし、その後は伯父夫婦の養女となりました。
養父母は不動産業や金貸し業をやっており裕福でした。
そのため、ノブは女学校に通うことができましたが、
養父母からは厳しく扱われ、女中のように家事をさせられる日々でした。
武藤ノブの結婚と移住
大正2年(1913年)、同じ丸亀出身の宮武貞雄と結婚しました。
貞雄は武藤家の養子であり、東大を卒業後は台湾銀行に勤務していました。
結婚後は貞雄の転勤に従い、シンガポールに移住しました。
しかし、貞雄の仕事の関係でアメリカに転勤となり、ノブは子供たちとともに香川に戻りました。
武藤家の家族との別れ
その後、戦争の影響で一家は別れることになります。
昭和19年(1944年)長男の一郎は戦争で亡くなりました。
ノブも戦争や家族の別れに苦しむ日々を送りましたが、娘の嘉子の進学や家族の支えもあり、乗り越えていきました。
武藤ノブの晩年と逝去
戦後は貞雄の仕事を手伝いながら暮らしましたが、昭和22年(1947年)に脳溢血で倒れ、その後亡くなりました。
夫の貞雄も同年に肝硬変で亡くなりました。
三淵嘉子と母親武藤ノブ:困難を乗り越え、道を切り開いた女性たち
武藤ノブは、日本初の女性弁護士である三淵嘉子の母親で、彼女の人生に大きな影響を与えました。
母親!武藤ノブの三淵嘉子へのエピソードとは?
ノブは、その当時の日本の伝統的な価値観を持つ女性で、女性は家庭に入るべきだという考え方を持っていました。
そのため、三淵嘉子さんには、さっさと結婚してもらおうと考えていました。
嘉子が法律の勉強を始めるにあたり、明治大学専門部女子部法科の卒業証明書をみたノブは
「これで、娘は嫁に行けなくなった」
と泣き出し、猛反対したと伝えられています。
ちなみに、明治大学専門部女子部法科は、女性が正規の学生として法律を学ぶことができる学校でした。
女性の法的な立場は当時とっても弱く、そんな女性が法律を学ぶというのは珍しいことでした。
「良妻賢母」の母親武藤ノブから三淵嘉子への影響
武藤ノブの教育と愛情は、嘉子に大きな影響を与えました。
武藤ノブが三淵嘉子への教育に熱心なのは「良妻賢母になるための花嫁修業」の一環でありました。
三淵嘉子は、困難に直面しても決して諦めず、自分の信念を貫き通す強い意志を持つ女性に育ちました。
また、ノブから受け継いだ優しさと思いやりを胸に、多くの人々を助けようとする人物となりました。
三淵嘉子:法曹界に挑む
三淵嘉子さん自身が法曹界に挑む模様を解説します。
幼少期:父との死別と母の支え
三淵嘉子は、1901年(明治34年)にシンガポールで生まれました。
幼い頃に父を亡くし、母ノブに育てられます。
ノブは嘉子を厳しくも温かく育て、教育にも力を入れていました。
嘉子は東京女子師範学校附属高等女学校(お茶の水女子大学付属高等学校の前身)を卒業した後、法律学に出会います。
当時、女性が法律を学ぶことは稀でしたが、嘉子は強い意志を持って法曹界を目指します。
司法試験合格と社会の壁
1938年(昭和13年)、嘉子は司法試験に合格し、日本初の女性法曹となります。
しかし、当時はまだ女性が働く場所が少なく、嘉子は就職先を見つけるのに苦労します。
ようやく裁判所に就職が決まっても、男性同僚からの差別や偏見に直面します。
それでも嘉子は挫けず、持ち前の努力と信念で困難を乗り越えていきます。
家庭裁判所の創設と活躍
戦後、嘉子は家庭裁判所の創設に尽力し、初代所長に就任します。
家庭裁判所は、戦後の混乱の中で増加した離婚や少年非行などの問題を解決するために設けられた新しい司法機関でした。
嘉子は、家庭裁判所を弱者の側に寄り添う裁判所として発展させ、多くの人の人生に光をもたらしました。
三淵嘉子と母親武藤ノブ!困難を乗り越え道を切り開いた女性!まとめ
NHK2024年前期連続テレビ小説 朝ドラ「虎に翼」の主人公:猪爪寅子のモデル:三淵嘉子と
母親:猪爪はるのモデルの武藤ノブについてエピソードを交えながら紹介しました。
最後までお読みいただき誠にありがとうございました。